2019年も3月に入ってしまった今更ではあるが、2018年に読んだ本ベスト10を紹介したい。最後に総括も。

10. ブラックアウト | コニー・ウィリス(著)、大森望(訳)

近未来、2060年のオックスフォード大学生が、研究の一環として1940年のイギリスにタイムトラベルするお話。
続編のオールクリアまで含めてのひとつながりの物語なので単作での評価が難しいが、この一冊だけでも十分に(個人的には不要なほどに)長くて読み応えがある。週刊漫画誌のような惹きで次へ次へと読ませてしまう一級品のストーリーテリングは相変わらずだし、下地となる第一次大戦下のロンドンの描写も緻密で徹底している。”ずっと文化祭前夜”のようなわちゃわちゃした感じは好みの分かれるところ。でも数年に一度無性に読みたくなるんだよね。

9. 声をかける | 高石宏輔

「僕」はセックスと会話という二つの強い欲望に衝き動かされ、東京の路上でナンパに明け暮れ、満たされないセックスを繰り返す。
主人公は全然チャラい感じではなくむしろ内向的な性格で、共感するところが多々ある普通の青年に見える。
基本的には一話ごとに女の子をナンパしてセックスして時には付き合ったりする話の連続なのだが、街ですれ違う様々なタイプの女性たちがどんな生活を営んでどんな悩みを持っているのかリアル展覧会を眺めるような面白さがある。
しかし後半部になると、メンヘラ・悠との駆け引きというか攻防戦に面白さの力点が移ってきて、幼稚な悠をたしなめる一方で満たされなさがどんどん募っていく「僕」が読んでいて辛かった。結末はもっと辛い。
小説なのかエッセイなのか、どちらともつかない語り口にぎこちない点はいくらでも見つけられるが、何人と体を重ねても答えにたどり着かない、出口のない感覚がしっかりと作品の芯にあって、その辺の凡百の恋愛小説とは比べ物にならない深度と強度を持っている。

8. ヤノマミ | 国分拓

ベネズエラとブラジルにまたがる広大な森林地帯、アマゾン奥地に住む先住民族ヤノマミ(彼らにとって人間、の意)とともに住み、暮らし、取材を行ったドキュメンタリー。
狩猟採集をはじめとした原始的な生活を維持する彼らとの共同生活の描写は新鮮で、こういう民族が推定25,000人以上もの人口で今だに残っていることに驚かされる。
彼らはシャボノという円形の巨大な共同住居に住み、日中は男は狩りを、女は畑仕事をし、家に帰ると、旦那/妻がいる者でも別の人間とおおらかに性関係を結ぶ。また文字表記を持たず、4,5歳までの子供には固有の名前が与えられず、死者が出ると誰もその名前を口にしなくなる。
僕らがイメージするアマゾン奥地の原住民族というイメージとそこまで離れてはいないのだけど、著者の実体験を伴ってディティールを描写されるとこんなにも面白い。

7. アヘン王国潜入記 | 高野秀行

中国とビルマ(ミャンマー)の間に位置し、1995年当時は事実上の独立自治区となっていたワ州に潜入取材を敢行、全世界の4割前後のアヘンを生み出していたその場所に暮らし、実際にケシを育て、収穫し、きっちりアヘンを利用するところまでいってしまった掟破りなルポタージュ。
途中からほぼ”沈没”しているようにすら見える著者の没入ぶりとその取材にかける熱量は凄まじいのに、文章はカジュアルで読みやすい。一方で、舞台となるワ州とそれを実効支配する武装勢力の内情、ビルマ政府や中国との国際関係にも言及していて、当時のスリリングな政治情勢を垣間見ることができる。
僕はかつてベトナムに住んでいたこともあり(地理的に近いわけでもないのだが)、景色や人々の言葉に当時のイメージを重ねて読んだ。日本とは治安も生活水準も文化も異なる異国を旅する、あの静かな興奮と不安がよく現れている。

6. 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学 | 野矢茂樹、西村義樹

言語学の本で2018年一番面白かったのがこれ。
日本語には「太郎は雨に降られた」という表現があるが、これに対応する能動文(「雨は太郎を降った」)は成立しない。この特徴が他言語にほとんど見られない理由って?という、言語について我々の見方や態度と結びつけて考える認知言語学についての本。
哲学者である野矢氏と認知言語学者の西村氏による対談形式で、これが非常にうまく機能している。専門用語は西村氏が説明してくれるし、抽象度の高い問題は野矢氏がつっこんで例えに落とし込む。自由な対談にみえるのに認知言語学の成立についてもしっかり触れていたりして、全体に散漫な印象を与えない。
例えば「村上春樹を読む」という一文だけで“本“を読むという意味になるけど、これにはメトニミーという用語がちゃんとある。そういうのに興味がそそられる人に是非オススメ。体系的な入門書とは違うけど、日本語の捉え方が確実に変わる一冊。

5. 偶然の統計学 | デイヴィッド・J・ハンド(著)、松井信彦(訳)

世の中には二回連続でロトにあたったり何度も雷に打たれたりする人がいて、そういった”起こりそうにもないこと”がなぜ次々に起こるのか、統計学を駆使して出来事の裏に隠された法則をつまびらかにしていく。著者はイギリス王立統計協会のプレジデントも務めている。
こういう説が面白いのは、往々にして人間の直観と反しているからだ(たった23人が集まれば、誕生日が同じ二人がいる確率が、いない確率より高くなる)。
誰もが小学生時代から馴染みのある「確率」ですら、直観と真っ向に対立する結果を生み出し続ける(10回連続で表だったコイントスの次の10回が全て裏で相殺される、と思ってはいけない)。
少しだけ拡大解釈をすれば、運命とは一体なんなのかについて科学的なアプローチで説明を試みた一冊と言えるかもしれない。
この本自体が生活で実践できる、何か心を突き動かされるというものではないが、人生で遭遇し続ける偶然というものの成り立ちが明らかになる、知的好奇心を刺激する一冊。

4. 誰も語らなかったジブリを語ろう | 押井守

パトレイバーや攻殻機動隊など日本アニメ史に残る作品を監督してきた押井守が、スタジオジブリ、というか宮崎駿と鈴木敏夫について語りまくる、最高に面白くて笑えて頷きまくる一冊。
宮崎駿は超一流のアニメーターではあるが監督としては二流であるという指摘は、作家としての宮崎駿と押井守の違いも浮き彫りにしていて、両監督とも好きな自分にとってもうたまらない。
特に覚えているのは、作家にとっての「自分の作品のピーク」と「クオリティのピーク」は一致しない、という話。「千と千尋の神隠し」で浅く冠水した線路を千尋とカオナシが歩いていくあの三途の川は映画史上最高の表現とまで評価している一方、レイアウトや画のクオリティで「千と千尋」はもう落ち目に入っている、と鋭い分析をしている。
文中で登場する個人名や固有名詞にはほぼもれなく注がついており、近年のアニメ史を俯瞰する内容にもなっている。
ただ面白おかしく罵詈雑言を並べる本では決してなく、ところどころでこぼれる素直な押井自身への評も見逃せない。
この人にはまた映画を撮ってほしい。

3. 1809 | 佐藤亜紀

この人の「天使」はオールタイムベストに必ず入るほど評価していて、優雅で研ぎ澄まされた文章表現と圧倒的な西欧史の知識量に裏打ちされた作品群に触れていると、他の日本語小説がもはや霞んでしまう。
大きな権力や運命に(半ば自分でも意識しないまま)抗う主人公は、村上春樹やチャンドラーのキャラクターにも通じる、心を打つ何かがある。
ただ、フランス革命前後のヨーロッパの政情(特にオーストリア)を知っていないと何が何だかわからないだろうし、相関関係も説明されないので最初の1,2割を読み進めるのに非常に苦労した。でもそんなの関係ねー。そこを乗り越えた人だけこの体験が味わえる。
この後出てくるランキング1位や2017年に読んだ「罪の声」もそうだが、史実とフィクションが融合した小説がやっぱり好みなんだな、と再認識。

2. ラスト・ウェイ・アウト | フェデリコ・アシャット(著)、村岡直子(訳)

脳腫瘍を抱えた主人公テッドが今まさに拳銃自殺をしようとするその瞬間、自宅の呼び鈴がなる。そこからは怒涛のようにツイストが展開しまくり(ちょっとでも書くとネタバレになりそう)、そして驚きの始まりを迎える第二部(大丈夫、あなたは読むページを間違っていない)。
物語の個人的な白眉は、中盤、主人公含めたおっさん3人が病院の中庭のベンチにただ座る、というシーン。これぞ小説的なカタルシス、緊迫感と静けさが同居した闘いに、心を揺さぶられる。
台詞の翻訳も絶妙にハマっていて、特に中盤以降のエモーショナルな展開をより一層盛り上げてくれる。
読者の認識や人物への印象やが次々に裏切られていく前半部から駆け足気味なラストまで、所々チグハグな印象を与える部分がなくもないが、通しで読むと実験的側面とヒューマンドラマがうまく交わっているのがわかる、充実の読後感を与えてくれる名作サスペンス。

1. ネルーダ事件 | ロベルト・アンプエロ(著)、宮﨑真紀(訳)

1973年の南米・社会主義政権下のチリ。のちにクーデターにより軍事独裁体制に移行するその革命前夜、実在するノーベル賞を受賞したチリの詩人ネルーダが、主人公カジェタノにある人探しを依頼するところから物語が始まる。
「事件」とあるがサスペンス色は強くなく、チリから始まってメキシコ、キューバ、東ドイツ、そしてまたボリビアへと、滑らかに場面転換しつつ少しずつ真相に近づいていくストーリーテリングも見事だし、それらの土地の濃密な時代感も感じさせてくれる。
過度に詩的に陥らない、しなやかかつ艶やかな筆致とそれを失わない翻訳は惚れ惚れするし、終盤まで全く緩まないテンポの良さ、そして”人を探す”というスクリプトはやっぱり普遍的で推進力があって、強い。シリーズ物らしいし、この著者の他の作品もどんどん翻訳していってほしい。
ポアロやマーロウなど西洋の探偵小説へ幾度も言及しており、同時にそれらのメソッドがラテンアメリカの現実の前では力を失うことを踏まえた上で、カジェタノはどう探偵として成長していくのか。ラテンアメリカを舞台にしたハードボイルドの新たな系譜。

おわりに

2018年はちょうど50冊の本を読んだ。時期によって全然読まなくなる癖をなんとかしたい。
9位の「声をかける」や、ランキングには入らなかったが、「手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ」(藤田祥平)も小説としての完成度は決して高くはないが、作家の初期衝動のようなものが感じられてすごくよかった。
また続き物の評価も難しい。「七人のイヴ(1,2,3)」は地球滅亡の危機に瀕する人類が宇宙に飛び出てどう乗り切るかというSFで、1巻2巻はもうこの上なく面白く、期待値MAXで3巻に手を出したところつまらなすぎて驚愕した。
「サピエンス全史」も評判通り素晴らしいのだが、やはり後編より前編の方が勢いがあった。

有名なクリエイターのインタビューや対談本は手に取りやすいのでつい買ってしまうのだけど、がっかりすることが圧倒的に多い。2018年でいうと「すいません、ほぼ日の経営。」(川島蓉子、 糸井重里)や、もっと昔に読んだ「風の帰る場所」(著者名は宮崎駿だが、インタビュアーは渋谷陽一)はどちらもインタビュアーが凡庸で、読後に何も残らなかった。

前評判通りに楽しめない本もある。「折りたたみ北京」は中国発SF作家のアンソロジーだが、短編は玉石混合で正直読み進めるのが辛く、今後こういったジャンルには手を出しづらくなってしまった(手旗信号でコンピュータを再現する話は好き)。
「文明の生態史観」はレビュー評価も高く期待して臨んだ一冊だったが、全体的に表面的な考察にとどまっていて(1950年に描かれたということも考慮しなくてはいけないが)、どの章も寸止めされている感じでガッカリ感が強かった。

来年はKindleでも買って読書環境整えたいのと、最低50冊を読むことは続けたい。

2019年の記事はこちら: 2019年に読んでよかった本10冊
2017年の記事はこちら: 2017に読んだ本のベスト10 (小説・人文)