アーサー・C・クラークの本は古びない。時代による風化を免れる、モノリスのような傷つけ難さがある。

ネタバレなしの感想

1973年に出版された、人類と太陽系外文明との初接触を描いたアーサー・C・クラークによるSF小説。太陽系外からある人工的な飛行物体が飛来し、人類はそれに「ラーマ」と名付け探査船を送ることになる、というお話。

西暦2130年の近未来を、現在から45年以上前に描いているのに、古くささやダサい未来描写が一切ない。今読んでもリアリティのある宇宙船描写は流石だし何を描かないかということにも如才なく注意が払われている。

2019年に日本語翻訳版が発売されSFファンを騒がせた「三体」がある意味で泥臭く外連味たっぷりなのに対し、こちらはもっと大人で優雅さすら感じる。

あと、登場人物が各々の職業に忠実というか、例えば宇宙飛行士同士の人間模様や、地球や他の星に暮らす家族とのウェットな展開もほぼない。「星を継ぐもの」的な、ほぼ脇道に逸れず謎に突き進んでいく展開はめっちゃ好み。

ネタバレありの感想

"SFの終わらせ方問題"というのがあって、後味がすっきりしつつ、余韻が残り、その後の世界を想像する余地を多分に残して終わる作品が良いSFだと個人的に思っている。

ある地球外文明との出会い、いわゆるファーストコンタクトを描くにあたって、侵略されちゃいましたというオチだと後味が悪いし、そのまま人類が超高度な技術を手にしたり宇宙人と共存したりする、それまでの生活が一変するようなラストはリアリティを失ってしまってそれもあまり好きではない。

映画「メッセージ(現代: Arrival)」はその点で非常にうまいオチをつけたな、と思った。

仮に宇宙人に出会ったとしても、短期間で知的文明の全容を解明することや、ましてや地球の文明レベルが飛躍的に上昇したりするような展開を避けるために、彼らとの出会いを一時的かつ極めて限定的な範囲に抑えて、最後宇宙船は予告なく地球を飛び去ってしまう。

タイトルから示唆されているように「宇宙のランデブー」もこれに似た話で、太陽系外から飛来した宇宙船は、人類と意思疎通をすることなく、太陽で燃料補給と重力ターンを行い、宇宙の彼方に飛び去って終わる。

ある知的生命やその文明と真正面から接触して人類がその全容を目にするという話にしてしまうと、想像の埒外の文明を一個まるまる描かなくてはならず、綻びが出やすいという問題もある。

「宇宙のランデブー」では、人類が触れられるのはラーマの遺物の限りなく一部に過ぎない。探索チームはラーマが太陽に近づきすぎる前に脱出しないといけないという時間的な制約があり、宇宙船の全てを調べる時間がない。

結局、ラーマがどのような技術や文明を持っているのかも最後までわからないし、ラーマ人とは接触すらなく、彼らの目的地は示唆されるが、その後どうなったかもわからない。物語の構成として必然的に限られた情報しか与えられず、ただしそれがモヤモヤするのではなく、読者が世界を想像するよい材料になっていると思う。

そもそも、発達度合いが極度に異なる文明と接触する際、例えば人間とミジンコの場合を想像してみても分かるが、相互に意思疎通できることの方が少ないんじゃないかと思う。そういう意味でも、地球人(とそれを発端とする太陽系文明)の存在とちょっかい(?)を歯牙にもかけず、ラーマが宇宙の彼方に飛び去るラストはこの上ない説得力がある。哀愁すら漂う余韻を残したラストの描写はものすごく好みだった。

余談だが、こういう一冊で完結された物語の続編が作られることにはあまり賛成派じゃなくて、例えば名作「星を継ぐもの」の続編は回を追うごとにエンタメに走っていくのが辛いものがある(それでも一級に面白いのだが)。

ランデブーにも続編が4まであり、いずれもクラーク御大は名ばかりのテイストの異なる作品に仕上がってるらしい。僕はここで完結と思っておこうと思う。


読んだのは2019年。この記事を書いてて、なんで去年の読んでよかった本ランキングに入れなかったんだという気がしてきた。古典的名作という逆ハンデがなければベスト10には入ってたくらい、べらぼうに完成度の高くて無駄のない、美しい物語だった。ディストピアものが嫌いな僕としては、同じクラークの「幼年期の終り」よりも断然こちらが好き。